高倉健 その魅力
高倉健 その魅力
高倉健 その魅力
高倉健 その魅力

邦画の名作

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週末見たい映画

東映から独立

独立へ

1996年(平成8年)映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』 (にんじんプロダクション: 國光影業) を皮切りに、ハリウッド映画や東映以外の作品にも出演していましたが、1970年(昭和45年)に「ヤクザ映画にも出演し続けるが、好きな映画を作る自由も認めてほしい」と申し入れをして、東映社長の大川博の了承をもらって、高倉プロを設立しました。しかしその翌年1971年(昭和46年)8月に大川社長が亡くなります。東映の社長が岡田茂に代わって、特例は認めないと反故にされてしまいました。

1972年(昭和47年)11月に、健さんが海外旅行に出たことが“高倉健 蒸発”といった報道になり、“仕事を放り出して蒸発することで高倉プロを認めさせる最後の手段に出た”という報道なされました。海外から帰国した健さんは「僕はそんな手段を使って、会社とやり合うようなケチな根性は持ってない」と説明しましたが、1973年(昭和48年)の『仁義なき戦い』(主演:菅原文太)がヒットしてから、東映の岡田社長は「鶴田浩二も高倉健もしばらく止めや」と実録映画路線に変更したため、健さんと岡田社長との関係は悪化します。「このまま東映にいたら、ヤクザ役しかできなくなる」という危機感も加わったため、東映作品の出演を拒みだしたこともあって1976年(昭和51年)に東映を退社しました。

古き良き時代の映画

フリーに転向してから、1976年(昭和51年)映画『君よ憤怒の河を渉れ』(永田プロ: 大映) に主演します。10年以上に渡って出演し続けた仁侠映画のイメージから脱却しました。

翌年の1977年(昭和52年)に『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』の2作品に主演して、第1回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞と、第20回ブルーリボン賞の主演男優賞のダブル受賞に輝きました。これ以後も数々の作品に出演して、合計4度の日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞、2度のブルーリボン賞の主演男優賞に輝いています。

これと前後して、アメリカ映画や中国映画などの海外作品にも出演していて、1998年(平成10年)に紫綬褒章を受章しています。映画に出演する一方で、テレビドラマへの出演もあります。1977年(昭和52年)の初主演作作『あにき』をはじめとした5作品です。テレビドラマに出演した理由には「故郷にいる母親に、テレビで毎週自分の顔を見て安心して欲しいから」というのがテレビドラマに出た理由です。CMにも数多く出演していますが、富士通のパソコンFMVのCMでは『幸福の黄色いハンカチ』で夫婦を演じた倍賞千恵子と再び夫婦役で共演して、コミカルな演技を見ています。

初ナレーションを務めたのは、2006年(平成18年)4月2日のTBS『世界遺産』です。

健さん映画を更に見る

最近では

2005年(平成17年)8月12日に、『網走番外地』シリーズの石井輝男監督が死去しました。石井監督の遺志によって、網走市内の潮見墓園に墓碑が建立されて、2006年(平成18年)8月5日に納骨の儀が執り行われました。墓碑には“安らかに 石井輝男”と記されていますがこの墓碑の碑文は、健さんによってしたためられたものです。

2006年(平成18年)11月に行われた天皇・皇后主催の文化勲章受章者・文化功労者を招いたお茶会に出席して以来、公の場から離れて、ぜんぜん姿を見せてくれませんでしたが2009年(平成21年)11月に、その年8月に亡くなった女優の大原麗子の墓参に訪れて、お墓掃除をして30分以上語りかけていたことが2010年(平成22年)8月に報じられました。

2012年(平成24年)8月に主演した前作『単騎、千里を走る。』から6年ぶりとなる、205本目の主演作品となる映画『あなたへ』で銀幕復帰しました。11月27日この『あなはて』の作品で「第37回報知映画賞」主演男優賞を受賞しましたが、健さんのの放置映画賞での受賞は1977年(昭和52年)『八甲田山』『幸せの黄色いハンカチ』で主演男優賞を受賞して以来となる35年ぶりの受賞でした。

2012年(平成24年)10月10日に「五十有余年におよぶ活躍と、孤高の精神を貫き、独自の境地を示す映画俳優としての存在感」によって、第60回 菊池寛賞に選出されました。授賞式は欠席していたので、代理人を通じて「思いがけない受賞で驚いています。非常に光栄です。ありがとうございます」とのコメントを寄せています。

2013年(平成25年)6月5日に横浜市のロイヤルホールヨコハマで行われた、勝新太郎の『17回忌を偲ぶ会』では、渡哲也、藤村志保らたちともに発起人に名を連ねていて、当日会場にも足を運んでいます。そしてこの2013年10月に、文化勲章を授与されることが決定しました。